「気仙沼市民の森の秘めたる価値と可能性」の講話を公開
4月18日に開催した「気仙沼市民の森の秘めたる価値と可能性」イベントでの鈴木卓也さん(南三陸ネイチャーセンター友の会)の講話を公開します。

(室根山から市民の森方面を望む)
【講話の大約】
市民の森での大型風発計画は、絶滅危惧のイヌワシの通り道を塞いでしまう。
市民の森がある羽田山は、気仙沼市内の主要な川の源流だ。生物多様性の回復の時流の中で、県立自然公園での大規模開発は大問題。
この風発計画を受け入れることは、市の掲げてきた自然と人の共生の理念、市と市民との協働の歴史を全否定し投げ捨てるものだ。
羽田山は、海から見たランドマーク、手長山伝説神話、羽田神社のお山がけ、景観など、市民が心の拠りどころとして大切にしてきた場所だ。
市民の森のある羽田山は古来、茅(萱)刈り場や牧草地の入会地として利用された。その後、市民の憩いの場として市民の森が整備され、年間6000人が訪れた。
昭和48年に開園した市民の森の計画理念は、森林環境の維持保全と森林文化の啓蒙、気仙沼では少ない森林型レクリエーションの場と謳われ、平成にかけて段階的に整備が重ねられた。
市民の森計画の目的として、心身のリフレッシュ、自然と森林の体験と学習、人と自然との交わり・共生、など時代を先取りするようなすばらしい理念が謳われている。
震災後は海の復興に関心が向いてしまったが、山と森の自然資産の価値を利活用することで、自然と人を元気にし未来へつなげることができる。
(市民の森から市内を一望)
【講話のくわしい要約】
《市民の森は、イヌワシの野生復帰にも重要》
日本自然保護協会による意見書より。北上山地は古くからイヌワシの一大生息地で、岩手県はイヌワシにとって非常に大切な日本を代表する地域。 南三陸地域、宮城県側の北上山地で4ペアしかいなくなってしまったので、絶滅の危機に瀕しているイヌワシの絶滅回避のために、現在南三陸では若いイヌワシを野生に戻してあげる野生復帰に取り組んでいる。今後、野生復帰活動が功を奏して絶滅危機を回避できそうになったとき、北上山地の岩手県側と宮城県側をつなぐ、ちょうど回廊のような場所が、今問題になっている気仙沼市民の森。北上山地の気仙沼の部分は高い背骨のようになっていて、イヌワシが行き来するときそこを通る重要な場所でコリドー(緑の回廊)と呼ばれる。もしそこに、高さ180Mの40階建て高層ビルの大きさの風車が8基も建ってしまったら、イヌワシの行き来できる道を塞いでしまうし、バードストライクのリスクも高まり、非常に悪影響だ。
《市民の森での大規模開発の問題点》
市民の森がある羽田山は神山川の源流でもある。神山川、大川も含めた気仙沼市の水源のかなりの部分は、市民の森を含む西側の丘陵地、太田山、羽田山系から流れてきている。その羽田山系の主稜線を全部工事して巨大構造物を建てることは、水源の確保と防災の問題からも非常に問題だという指摘もある。
さらにネイチャーポジティブ、地域の生物の多様性を回復することで、私たち人間も健康的に心豊かに過ごせる環境を取り戻していこうという流れの中で、県立自然公園に指定される地域の中核地に、大規模開発をする問題点は大きい。
市民の森は、県立自然公園気仙沼に含まれる指定エリアだ。通常自然公園は、特に大切に守ろうという地区と、普通に使う地区や緩衝地区を区分して、特別保護地区・第一次・第二次・第三次とランク分けしなければならない。しかし不思議なことに県立自然公園気仙沼は全域が普通地域になっている。この地域のうち、厳重に守るべき地区、開発調整をするべき地区、緩衝地帯になる地区などがゾーニングされてない不思議な自然公園になっていて、それ自体がとても問題だ。
平成元年に気仙沼市が出した気仙沼市西部丘陵地域土地利用調査概要書という報告書では、市民の森を含めた羽田山・太田高原エリアを、人と自然との触れ合いの場所、レクリエーションの場所、心身のリフレッシュの場所として、きちんと活用していこうと高らかに謳っている。市民の森そのものは、この報告書よりも前の昭和48年に開設されたが、その後段階を踏んで、本当に大切な場所だからきちんと整美し、人と自然と触れ合いの場所として育てていこう、守っていこう、みんなで使っていこう、大切にしていこう、市も段階的に取り組んできた。そういう大切な場所なので、県立自然公園気仙沼をちゃんとゾーニングして、特別保護地区か、第一保護地区か、林業との調整をする第二次・第三次か、いずれにしても特別地域に指定されてしかるべき場所のはず。
しかし、このようにこれまでの歴史的な積み重ね、市行政と市民との協働を全部なかったことにして、その理念と努力はもういらない、その価値は全部なくなっても構わないので、巨大風力発電所を作って電気を作ろうということになるのであれば、それはもう市の考え方が180度いや540度くらい、1回転半くらい変わってしまうことになる。環境影響評価技術審査会の平野会長も指摘した通り、これまで昭和48年から50年以上にわたって大切にしてきた市民の森の価値を全部投げ捨てることになる。その上でも市はやるのか、その上でも事業者はやらせてくれというのか、そこを明確にしないと、まともな議論にならない。
《気仙沼市民にとっての羽田山》
あらためて市民の森は、どのような価値と可能性を秘めているのか。
- ランドマークとしての羽田山。沖を行く船から見ると、市民の森から続く気仙沼市の西部丘陵地帯が、ひとまとまりの大きな塊・山域に見え、沖を行く船から総称して羽田山と呼ばれるようになったらしい。沖から見た海と山・森のつながりという意味で、とてもいい山の呼び方だと思う。ランドマークしては室根山もあるが、山の高さや広がり面積としても、羽田山の山塊と、室根山の山塊は、ほぼ同じくらいの高さと面積だ。室根山のすっとそびえる円錐形の山に比べ、羽田山はなだらかな台地状の山であり、海から見れば、男の神様としての室根山と女の神様としての羽田山というイメージがあったと思われる。
- 羽田山の北側の一帯の廿一集落、あるいは廿一集落の右岸側に手長山がある。手長は神様として伝承に登場し、手長明神と足長明神の巨人伝説(神話)が伝わっている。2神のセットで、とても足の長い神様がとても手の長い神様を肩車して、手長神様が山頂に手をかけてずっと手を伸ばして海から海の幸を取って食べたという巨人伝説がけっこう残されている。おそらく山から貝塚や貝殻の化石が出ているからだろう。(他方、これは巨大な津波が山の麓まで押し寄せることのメタファーでもあるかとも思う)実際に、長の森から東のあたりを手長様と呼んで、麓の前浜の人々が新年になると海の幸と魚を持って山の神様にお参りしていた伝統行事がある。荒ぶる神様、おっかない神様だが、ちゃんと人が祀って大切にすることで神様に鎮まっていただいた。鎮まることで、麓に暮らす人たちの生活の安定や平安は、神様を敬うことによって保障されてきたのだという伝承が多く語り継がれてきた。また、太田(だいだと読む)高原のダイダは、ダイダラボッチ伝説につながるのだろう。長の森や徳仙丈なども巨大な神様をイメージさせる山の名前だと思う。
- 羽田山と言えば、有名な羽田のお山がけも、地域の子どもたちがちゃんと無事に健やかに育つように祈願する。羽田神社から登っていき、周り一体をぐるりと見回し遥拝できる場所で祈願する。この地域は、気仙沼と人々にとって、自分たちの暮らしの安全と安定、子どもたちの健やかな成長を祈る聖なる山として、ずっと大切にされてきたのが羽田山なのだと思う。
- その意味で、今回の審査会でも、もしこの計画の風発がもし建てば、景観に非常に大きな影響が出る。人と自然が触れ合う場所として古来からずっと大切にされてきた場所、その価値を全部なかったことにしてまでも開発を進めることは、私たち市民の精神性や心の持ちように対する影響はものすごくある。風土に生かされている、生かされてみんな暮らしてきたという思いがあるので、それを「壊滅」させてしまえば、ほんとうにこれは大変な喪失になる。
《気仙沼市民の森の前史と来歴》
気仙沼市西部丘陵地域土地利用調査概要書の概略説明を。もともとこの羽田山一帯は、入会地、麓の集落みんなで使う共有の山だったと書かれている。江戸時代初期の1642年に松岩、新月、階上、気仙沼、4つの村の入会の茅(萱)山、茅(萱)刈り場だった。当時の屋根葺きの材料としては茅が唯一なので、貴重な入会地だった。その後近代の昭和42年まで、約400ヘクタールが共有の茅刈り場として利用されてき。別古文書でも1741年には気仙沼と新城地域の530ヘクタールが草刈り場として利用されていたという記録もある。
明治後期から昭和中期頃までは、 茅刈場の他に、牛馬の放牧地・牧草地としても利用されてきて、林業というよりは、茅刈場や草刈場としてずっと利用されてきた。昭和40年ころから植林されるようになる以前から、草が生える山、草木山としてずっと長く利用されてきたので、多草地に由来するアズマギクとかヤマツジ、ヤマシャクヤクといった草地性の貴重な植物も生えていることもこの資料にも書いてある。
そういった歴史を踏まえて、西部エリアには市民の森と徳仙丈の2カ所が、主な市民のレクリエーションの場として利用されていると記録されている。市民の森は不思議なことに市民の森の関連条例はないが、資料には105ヘクタールが市民の森として指定されたとちゃんと記録がある。緑化と植栽の場、ハイキングコース、展望広場、休憩施設、駐車場、トイレなどが整備され、年間5000から6000人の利用があった。徳仙丈もツツジの名所として、5月をピークに1万人の市民が訪れる。さらにその麓に羽田神社とお山がけの祭典もあり、のちに国の文化財に指定される。
《気仙沼市民の森の計画理念》
このように海の街として意識されてきた気仙沼で、その西部丘陵地域にはこれだけの魅力があることを報告書は謳い、これだけ価値のある西部丘陵地区をどう生かしていくかという計画理念と方針もきちんと書かれている。
まず第一の最初に、森林環境の維持保全を図っていくと謳われている。2300ヘクタールに及ぶ広大な森林地域、ヤマツツジとかヤマシャクヤクといった自然資源に恵まれ、植林される前の草地利用がメインだった頃からのマシャクヤクのような本当に希少な植物も生えている。
かつ山頂とか山腹斜面から、岩手県側や陸中エリアの海岸や、南北にのびる北上山地が眺望できる、とても景観が良い場所でもある。これらの自然資産を維持保全していくとともに、森林の機能や役割を知ってもらい、森林文化の啓蒙と林業の振興を図っていくと謳っている。これが昭和~平成元年に市の考えた計画理念の第一番としてちゃんと書いてあり、やはり大事にすべき。
理念計画の第二に、きちんと森林環境を保全した上で、森林型レクリエーションの場として整備活用していくことが謳われ、トイレ、様々な施設、子どもの城、山小屋、バーベキュー施設などが順次整備されていった。気仙沼地方は海岸型レクリエーションと比較して、森林や山の自然を楽しむ森林型レクリエーションの場が少ないので、森林レクの場として、市民の森を含めたエリアをちゃんと整備していくと謳っている。
優れた自然森林環境とレクリエーションの場として整備していく。何のために整備していくかというコンセプトと目的は
- まず心身の保養。森林環境の中で、人間性の回復、健康の増進などのリフレッシュを図り、また森林の生活を楽しむ。
- 森林文化の学習、自然の生態、森林の変遷、森林と木と林業の役割などを、レクリエーションを通じて観察・学習・体験する。
- それらの上で、人と自然の交わり、自然との触れ合い、人と人との交流を通じて、そして自然を大切にし、レクリエーションの喜びを広げていく。ここまですばらしい理念がきちんと謳われている。
この理念計画が出されたのが平成元年だが、そこから30~40年近く経って、気仙沼市はこの高い理念を忘れてしまっていると思わざるを得ない。ほんとうにすばらしい理念と計画が謳われ、それを大切にして整備を重ね、理念を実現する形で利用され、その機能はちゃんと発揮されてきたと思う。しかし震災以降、どうしても海の側からの復興に市民の心が向かってしまい、山のことが忘れられていたのが、ここ10年~15年はそういう時期だったと思う。
今あらためて、山の側からのネイチャーポジティブ、麓に暮らす私たちの暮らしを豊かにしていこうと言う時期に、それは巨大風発によって電気を発電することによって豊かにするのではなくて、山と森の資源資産、高い価値を持った山と森の価値をきちんと利活用することによって、これから自然と人の元気を取り戻していく、未来につなげていくことができる。
